2人の娘を育てながら、
「浅田真央サンクスツアー」のキャストとして滑りつつ、
 インストラクターとして生徒たちにフィギュアスケートを教え、
脳梗塞から師が復活するのをサポートする
 挫折はいくつもあった。
 なのに、いつも笑顔、笑顔、笑顔・・・。
 こんなブリリアントな女性を貴方は知っていますか?
 彼女の名前は林渚さん。


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 林さんがインストラクターを務める東大和スケートセンターは、西武鉄道拝島線・東大和市駅前に隣接しています。このリンクを拠点とする『道家フィギュアスケートチーム』では現在、4才~社会人までのスケーターがレッスンを受けています。

 6才と5才になる娘さんを連れて、取材場所に現れました。2人とも物心ついたころからフィギュアスケートを習っているそうです。

  林さんが始めたのは9才の時。ちょうど1998年の長野五輪でスケート人気が盛り上がっていたころでした。

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スケートを始めようと思ったきっかけは?

「長野五輪女子金メダリストのタラ・リピンスキー選手の演技をテレビで見たときです。リピンスキー選手に憧れて、彼女みたいになりたいと思いました。長野五輪には本田武史さんや荒川静香さんも出ていらっしゃいましたし、日本の選手も注目してフィギュアスケートは見ていました。そこから自分もやりたいと思って、リンクを探し始めました」

 

その時から東大和スケートセンターですか?

「最初は東伏見のリンクで始めたのですが、当時はフィギュアスケートクラブがなかったんです。そうしたらそこで習っていた先生から、“東大和に行けばフィギュアスケートのクラブがあるよ”と教えてもらって、東大和に入門して通うようになりました」

 

最初は習い事としてスケートを?

「最初はスケート教室だったので、週に1回ぐらいでした。個人レッスンを受けないと上達しないと自分なりに思って、母に“やってみたいんだけど”とお願いして。当時、母はシングルマザーだったので、大変だったと思うんですが、私がやりたいと言ったことをやらせてくれたので、ラッキーでした」

 

それで道家豊先生に師事をされたんですね。

「はい、そうです」

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林さんが師事をする東大和スケートセンター専属インストラクターの道家豊先生と。道家先生は日本フィギュアインストラクター協会・副会長を務め、現在も全日本、インターハイ、全国中学生大会出場選手を数多く指導する。


本格的に選手として上を目指していこうと思ったのはいつからですか?

「最初に初級をとって試合に出たときに、もっとやってみたい、選手になりたいと思いました。その時の成績があまりよくなかったんです。何位だったかは忘れてしまいましたが、ビリのほうだったので。もうちょっと練習して本格的な選手になりたいと思いました。先生から“頑張ったら大会出られるよ”と言われ、初級とれるように一生懸命頑張っていたんですけど、納得いくにはもうちょっとやらないといけないとそのときに思いました」

 

そこからノービス、ジュニア、シニアと全日本に出場されるようになりました。Jr.グランプリシリーズにも出ておられます。

「ジュニアグランプリは2004年のセルビアモンテネグロ大会です。高校一年生のろきで、浅田舞ちゃんも一緒に行きました。そのときにはアイスダンスオリンピックチャンピオンのメリル・デイビス(アメリカ)もいましたし、その大会にはのちに国際大会で輝かしい実績を残した人が出ていました」

 

これまで印象に残っている大会は?

2005年に国立代々木競技場で行われた全日本選手権ですね。トリノ五輪の選考会だったので、ピリピリした雰囲気だったのを今でも覚えています。私は成績が下の方だったので、オリンピック選考とは関係なかったのですが、トップ10の人たちはすごかったんです。その時は荒川静香さん、村主章枝さん、安藤美姫さん、他にも強い選手が出ていたので、すごい緊張感でした。大きい会場っていうのもありましたが」

 

林さん自身も2005年東日本選手権優勝されていますからオリンピックに出たい気持ちは強かったのでは?

「もちろんありました。ただ、私が現役の頃は安藤美姫ちゃんや浅田真央ちゃんが活躍していた時代で、野辺山合宿のときから彼女たちに憧れていたので。彼女たちみたいになりたいなと思っていました」

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 2006年、インターハイでは個人、団体ともに3位の成績をおさめた。(写真提供/林渚さん)

 

高校卒業後は早稲田大学に進学。スケート部に入部されました。その頃の環境は?

「私が大学入学したときは4年生に中野友加里さんがいらっしゃいました。同期は武田奈也ちゃん。全日本トップクラスで活躍する選手がいて、キラキラしていました。

 ただ、私自身が大学1年生の時に全日本でショートもフリーもノーミスで滑ることができたんです。するとなんとなくやりつくしたような気持ちになって、無気力というかやる気がなくなってしまったんです。“もう、いいやみたいな感じで”」

 

そこからモチベーションを保つのが難しくなったのでしょうか。

「大学生になると先の人生のことを考えるようになるんです。高校生まではスケートのことだけがむしゃらに考えていたんですけど、大学生になると“この先、どうなってしまうんだろう”という恐怖を抱えながらやっていたので。大学1年生のときにノーミスでできて、そこからは(大学に)入ったからやるしかないかなという感じで。自分でわきまえているというか、これ以上目指せないなというのをわかりながらやっていました」

 

大学になると競技を続けるか、それともやめて就職活動をどうするかと悩む選手も少なくないと聞きます。

「しばらくもういいかな? という気持ちでした。そこから結局、大学3年生ぐらいでやめてしまったんです。そこだけが心残りです。大学4年生まで続けて、インカレに出たかったなと思いました。“あと1年だったじゃん”、みたいな」

 

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引退は20才か21才ぐらいなんですね。

「だからあっこ(鈴木明子さん)ちゃんみたいなのはすごいなって思います。あっこちゃんは“私は20才超えてからトリプル+トリプル飛べるようになったよ”とか。そういうモチベーションでいけるのはうらやましかったです。そのあとは学校に行きました。恥ずかしながら5年生まで行き、勉強をつづけました。同じころ“スケートをやめたいな”と道家先生に話したとき、“じゃあ、私の手伝いをやってよ”言って下さいました。それで大学で勉強しながら、お手伝いをするようになったんです。最初は振り付けからお手伝いさせてもらいました。スケートを教える勉強をしながら、大学に行って。卒業はできましたが、卒業できない夢を何回も見つつ(笑い)。また(単位が)足りなかった、親になんて言おうっていう夢を何回も見ました」

振り付けのお手伝いは楽しかったですか?

「私はジャンプが得意な方ではなかったので。振り付けの方が楽しいです。ジャンプ指導が楽しいという先生もいらっしゃいますし、私は小さいころからバレエやジャズダンスをたくさんやってきたんです。その他にも、フラメンコやタップなど様々なジャンルのダンスを母親が習わせてくれました。そのおかげで振り付けにも小さい時から興味があったんです。だから最初に手伝ってよって言われたときも、振り付けからがいいと希望しました。振り付けぐらいしか今、自分ができることはないと思う、と」
「骨組みを考えるのは道家先生で、それに肉付けしていく感じの形で振付させてもらいました。前半でこのジャンプを入れたほうがいいんだなとか、そういうことを覚えて。今は全部任せてもらっています」
 
<次回へ続く>
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プロフィール

 

林渚 NAGISA HAYASHI

1988719日生まれ

東京都出身

9才でスケートをはじめ、ノービス、ジュニア、シニアと全日本に連続で出場する。


2004年日本スケート連盟ジュニア強化選手。2001年全日本ノービス選手権大会9位、2003年東日本ジュニア選手権大会3位、2005年東日本選手権優勝、2006年インターハイ個人、団体ともに3位ほか。


現在は東大和を拠点に活動する『道家フィギュアスケートチーム』インストラクター、振付師として活動。一方で赤坂サカス屋外スケートリンク「ホワイトサカス」で行なわれているアイスショーやイベントに多数出演。2018年からは、「浅田真央サンクスツアー」にキャストとして参加している。


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フィギュアスケートチーム道家(http://figureskatingteamdoke.web.fc2.com/index.html