フィギュアスケートインストラクターでプロスケーターでもある林渚さんは二人の娘の母として多忙な日々を送っています。第二回目はママスケーターとしての彼女の素顔に迫ってみました。

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娘さんが二人いらっしゃいますが、今、年齢はいくつですか?


「6才と5才です」


子育てしながらコーチ業は大変では。


「子供産んでから大変だなと思いました。それまではできるんじゃないかと思っていましたが、子育てしながらコーチをしている先輩に聞くと、“大変だよ”って言われました。当たり前にできるかと思っていたけど、難しい部分もあったりして。今もそうですけど、親に頼んでいます。

 年子()で、まあ、今はだいぶ言葉もわかっているんですが、2~3才が一番大変でした。仕事行く前に母親に預けて、仕事から帰って、母親のところに行って子供を引き取りに行く。あとは常に食事をどうしようとか。自分のことは後で食べればいいやって思いますけど、子供の時間軸に合わせないといけないっていうのが大変でした」


コーチ業には早く復帰されましたか?


「産んですぐに復帰しました。産む2日前までリンクにいました(笑)」()


そんな直前までリンクに立つことができるんですね。


「立つことはできるんですけど、靴が履けないんです(笑い)。“お腹が大きいから、履かせて~”って言ってやっていました」


私たちライター仲間の中にも、“居場所がなくなる”と早々に仕事復帰する人も少なくありませんが…。


「それに近いものがあるかもしれません。生徒さんを放っておくわけにいかないし、先輩のインストラクターは産んで1週間でレッスンに戻っている方がほとんどだったので、それが当たり前だって自分では思っていました」


相性もありますから、“絶対にこのコーチがいい!”って思う生徒さんがいるわけですね。


「生徒との絆も学校よりは深いというか。常に“先生、調子悪くなったどうしよう”って、相談を受けますし。特に選手を抱えていたら何年も休むことはできないですから」


林さんはどれぐらいで?


林「私は10日ぐらいですね。ただ、2人目が帝王切開だったので、その時は3週間ぐらいかな」()


3週間で戻るのもすごいですね。


「やっぱり離れちゃまずいと思っているからですかね」

林渚
そこまでフィギュアスケートに魅了されるのは。


「これしかできないっていうのもありますが、生徒たちに教えるのは楽しいです。フィギュアスケートは単に競うだけのスポーツじゃなくて、一から作り上げるというか、競う部分じゃなくて見せる部分が大きい。それを生徒たちに教えるのは楽しいです」


林さんの娘さん二人とも将来的にはフィギュアスケートの選手になりたいと言っています?


「そこまではまだわかってないかもしれません。物心ついたときからリンクに連れて行っていたから、“やらされちゃっている感”があるかもしれない(笑)。フィギュアスケートをやりたいとは言っていますが、まだ“ケーキ屋さんもいいな”とか言っています」


かわいいですね。


「やりたいって言って始めてないから大丈夫かなって思っています。気づいていたらやっていたみたいな感じで。無良(崇人)くんや小塚(崇彦)くんみたいな感じです」


自分と同じ道を歩んでくれたらうれしいのでは。


「私より才能はあると思うんですよ(笑い)」


ショーの間、お子さんはどうされているんですか?


「母に預かってもらっていますが、サンクスツアーは、前日入りなので、金曜日に入って、土日ショーで、日曜日には帰ってきます。泊まるキャストももいますが、上の娘が学校に行き始めたので、金曜日、土曜日は母に預かってもらい、日曜日中に帰るようにしています。小学生なので、月曜日送り出さなきゃいけないんです」


食事のこととか気になるわけですよね。


「それに加えて今は“宿題をやらせなきゃ”とか“朝顔に水をあげなきゃ”とか。細かいことがあるんです。給食着を洗っていないとか。夜中に慌てていつもやっています。

  ただ学校の先生いわく、娘は、なんでも自分でやらなきゃって、なんでも自分でやるって言うそうです。私が普段、構ってあげられない分、何でも自分でやらなきゃって思っているのかもしれません」


子育てはコーチ業に役に立っていますか?


林「立っていますね。子供ってこういう考えなんだって産むまではわからなかった部分があった。教えているとなんでこうなんだろうって思っていたところがあったんです。今はそれを広い視野でみられるようになりました。子供ってこういうもんだよねって」


その中で師である道家先生が倒れられたと伺いました。


「脳梗塞で倒れてしまったんです。その時はもうマイナスなことばかり入ってくるというか。脳梗塞になったらもう歩けなくなるとか。もっとプラスのこともあったのに、マイナスのことを考えていました」


いつ倒れられたんですか?


「私が妊娠中なので7年前ですね。リハビリを一生懸命続けたら、歩けるようになって。今の夢はスケートをもう一度、滑れること。支えていれば滑れるんですが、最初はお茶碗すら持てない状態でした。左半身がまったく動かなかったんです」


今年、行われた道家杯(※)でもリンクの上に立っておられました。そこまで回復されて本当に良かったです。


「入院しているときもずっとスケートの本を読んでいて、情熱がすごいなって思います。私は引退して数年だったから情熱がなくなって引退していたから、その年まで、しかも病気してもスケートの本を読んでいるぐらいスケートに夢中なことがうらやましいと思いました」


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※道家杯は道家豊先生プロ生活50周年の記念し、スタートしたエキシビション発表会。今年で第10回を迎えた。写真は道家先生と林さんの娘2人と一緒に。(写真提供/林渚さん)


道家先生は日本のスケート界にとってはなくてはならない存在ですから。


「ありがとうございます」


私たちも道家先生からはスケートの歴史や基礎的なことまでできるだけたくさんのことを教えて欲しいんです。


「先生が病気してから私もそう感じました。それまでは病気は遠く先にあるものというか、命が半永久的にあるものと思っていたけど、一番身近な存在の先生が倒れられたときに、“命って限りあるんだ”って強く感じて。もっと吸収しなきゃってもっともっとって。コンパルソリーのことも深く教えて頂きたいですし、まだまだ学べていないところがあるので」


学びたいこととは?


「昔のスケートの基礎です。私の時代はジャンプ、ジャンプの時代だったからできてなかったんです。教え始めて大事だったんだなって。バッジテストのステップテストで少しは残っているんですけど、深く追求してやったほうがいいと思ったんです」


確かに今はステップやつなぎも複雑ですし、スケーティング技術も美しさもファンはちゃんと見ていますからね。


「トップになればなるほど同じジャンプやスピンをやったときにどっちがうまいかってなったら、スケーティング技術やステップシークエンスの点数で上下をつけますよね。そうすると突き詰めていくとスケートの基礎になるんです」


道家先生はアイスダンスもやっておられましたし。


「そうなんです。アイスダンスのことも教えて欲しいんです。振り付けに限界があるんですよ、シングルだと。私もアイスダンスの基礎は道家先生から習っていたんですが、もっと詳しくというか深く教えてもらいたいんです」


世界を見渡してもアイスダンス出身の振付師は多く、特にアイスダンス出身の振付師は複雑なステップを入れたりしますから。


「そうなんです。シングルだけやっているとかなわないんです」


フィギュアの華やかさはジャンプだけでなく、やはりステップ、スケーティングの正確さがものを言いますからね。


「絶対にそうだと思います。道家先生の時代はシングルもアイスダンスもペアも全部やるという時代だったみたいです。強制的にやらされていた時代で。でも、先生は“あの時代は良かった”ってよく言っています。だからできるだけ、先生にいろんなことを聞くようにしています」


<次回に続く>


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プロフィール
林渚 NAGISA HAYASHI

1988年7月19日生まれ

東京都出身

9才でスケートをはじめ、ノービス、ジュニア、シニアと全日本に連続で出場する。


2004年日本スケート連盟ジュニア強化選手。2001年全日本ノービス選手権大会9位、2003年東日本ジュニア選手権大会3位、2005年東日本選手権優勝、2006年インターハイ個人、団体ともに3位ほか。


現在は東大和を拠点に活動する『道家フィギュアスケートチーム』インストラクター、振付師として活動。一方で赤坂サカス屋外スケートリンク「ホワイトサカス」で行なわれているアイスショーやイベントに多数出演。2018年からは、「浅田真央サンクスツアー」にキャストとして参加している。


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撮影・文 廉屋友美