スポーツの撮影は芸能人のグラビアとはまったく違う状況で、行われています。
たしかな技術と知識と体力、何よりも選手やスタッフとの信頼なしでは、現場で足をひっぱるだけ。ある意味、戦場カメラマンととてもよく似ています。
福生映像研究所。彼らは20年以上にわたり、フィギュアスケートを専門に映像を撮り続けてきました。
日本のフィギュアスケート選手や親、関係者なら知らない人はいません。
まだマスコミもほとんど来ていなかった時代、リンクの片隅では見本として、高橋大輔選手、織田信成選手、羽生結弦選手、荒川静香選手らの映像が繰り返し、小さなテレビでリプレイされていました。テレビでも動画サイトでも公開されていない映像がほとんどです。
というのも、福生映像研究所の動画は選手と家族だけに販売されるものだからです。
コーチも選手もおもわず、足をとめて昔の映像をみながら、あーでもないこーでもないとよもやま話にふけったものです。
これまで撮りためた映像ライブラリーは数知れず。福生映像の代表・中川和明さんとスタッフで妻のゆかりさんに密着し、話を伺いました。
選手を撮るようになったのはいつからですか?
和明「公式に始めたのは1997年ぐらいですね。その前に東京女子体育のシンクロチームをちょこちょこと撮影していました。1992年ごろです」
シンクロ競技からだったんですね。
和明「最初から説明すると、30才になる前に東京サマーランドのスケートリンクに友達と遊びに行っていたんです。当時は冬だけスケートリンクがあったんですよ。その時に自分はスケートや氷に触れるのが好きだってことを思い出して。子供の頃に少しだけ連れて行ってもらっていたんですが、その時に楽しかったことを思い出したんです。最初は壁につかまりながらですが、滑っていくうちにどんどん面白くなったんです」
教室に通ったり、コーチのレッスンを受けたりしたんですか?
和明「全然、そういうのはなく。ただ、遊んで滑っているだけでした。でも、一般滑走でも自分の靴で滑っている人やコスチュームを着て練習している人を見て、憧れて、尊敬の気持ちを持つようになったんです。自分も靴を買って滑っていたんですが、残念ながらそのリンクはつぶれてしまいました」
それは残念でしたね。
和明「東京の昭島のほうにリンクがあり、そこに通うようになりました。その頃、うちの家にビデオを撮る機材があったので、それで友達の子供たちが滑っているところを撮ったりしていたら、いつの間にかほかの子供たちが寄ってきたりしていました。 そのリンクでは一般滑走のときから、東京女子体育大学のシンクロチームが滑っていました。その時はどこのチームか知らなかったから、“あの人たちなんだろう?”といつも気になっていたんです。
そんなある日、NHK杯のエキシビションが東伏見のスケートリンクであることがわかり、私も見に行くことにしました。フィリップ・キャンデロロさんが出ている中で、その場に昭島のリンクで一緒に練習しているチームの女の子たちがいる! と驚きました。そこで彼女たちが東京女子体育大学の子たちだとわかったんです。後日、昭島のリンクで一緒になったとき、先生に“NHK杯に出ていたチームですよね? 良かったらビデオ撮らせてもらえませんか?”と頼みました」
選手にとってはありがたい話ですね。自分たちが滑っているところは見たいけど、撮る機材なんてないから。
和明「その時は学生のひとりが小さいカメラで撮っていて。じゃあ、一応、名前と住所書いてって。何回か撮っているうちに、彼女たちが“中川さん見せてよ”っていうから見せると、“きれいだね、もっと撮って”という。
そのうち、発表会や東大和でも学生の大会もあるから撮って欲しいと頼まれるようになりました。彼女たちはシングルの大会にも出ていて、それを撮ったりして。その頃は無償で撮っていました。
そんな中、ある大会で、良い機材で撮影している男性がいたので、声をかけてみたんです。彼、元選手で国体や地方の大会に出ているような人で1980年代からビデオでいろんな選手の記録を撮っていたそうです。話をしてみると各都道府県のスケート連盟やコーチ、選手のことなどスケート界のことをよくご存じでした。私は人脈なんてなかったから、彼の言うことを聞いて、師匠と仰いでいました。こういうことに気を付けたほうがいい、次はこんな大会があると教えてくれましたね」
インターネットのない時代、試合の日程を調べるだけでも大変でしたよね。
和明「なんの情報もなかったので日本スケート連盟に電話して、“各都道府県のスケート連盟の担当者の連絡先を教えて欲しい”と連絡すると、“会報誌があるから”と送ってもらいました。そこに載っている連絡先に片っ端から電話をして、“今度、どんな試合がありますか?”と問い合わせしていました」
長野五輪前の合宿で代表選手たちを撮影
もしかして1997年の長野で開催された全日本ノービス選手権の第1回大会から撮りに行っています?
和明「はい、そこから行っています。最初の頃はあまり売れなくて、誰も買ってくれませんでした」
スケーターたちの映像を撮影する仕事をやるようになったのはいつからですか?
和明「日本スケート連盟テスト部を担当されていた方から、長野五輪の前に、“中川さん、いま、合宿していて、本田武史選手と荒川静香選手に見せたいから撮りに来てくれない?”ってお声がかかったんです。それは自費で行って撮りましたね」
当時、仕事は何をされていたんですか?
和明「家業で建築の仕事をしていました」
スケートの撮影は建築の仕事をしながらやっていたんですか?
和明「そうです。土日に休みをとって、地方の大会にも出かけていました。最初は建築の仕事で稼いだお金を遠征費などにあてていました。スケートを撮る仕事で稼げるようになったのは5年ぐらいたってからでしょうか」
映像を撮るのは独学ですか? それとも専門学校などに通われたりしたのでしょうか。
和明「学校には行っていません。ただ、学校に行くか誰かの下について学びたかったなとは今でも思っています。テレビ局の取材とか見ていると先輩の下で働いている人がうらやましく思えるんです。怒鳴られながらも、先輩から学びながら技術を身に着けていく感じとか」
当初はさぞかし苦労もされたのでは。
和明「意外と撮影自体はフリーで、長野五輪のあとも長野国体があったりして、そこでも撮影していました。何回か撮影していると、顔を覚えてもらって、スケート連盟の関係者からも“この大会に来てもらえないか”とお願いされるようになりました。
1990年代は実におおらかで、撮影の申請していなくても、現地に行ってお願いすれば、撮影できたんです。でも関西であったとある地方大会だけはだめでした。その頃、いかがわしい動画や写真を撮る人が出始めて、事前申請をしていないと撮影許可が降りなくなっていたんですよね」
本来の目的以外で撮影する人もいて、撮影規制が厳しくなっていきましたからね。その中で実績をきちんと積まれていかれたのは素晴らしいと思います。ところで、奥様のゆかりさんはいつから一緒にやるようになったのですか?
ゆかり「結婚してからなので6年です。私自身、ずっとスケートをやっていて、地方のスケート連盟で役員をしていた時、(福生映像に)撮ってもらっていました」
いつからスケートを始めたんですか?
ゆかり「小学生の時からですね。最初は京都の伏見桃山で習っていました。ただ、伏見桃山のリンクがなくなり、大阪の高槻のリンクでも習っていたんですが、受験をきっかけにやめました。ただその後もご縁があって細々とスケートを教えていました。ただ、スケートしかしてこなかったので、いったん離れようと婚活をしていた矢先に(和明さんと)知り合い、結婚することになって、今に至っています」
お宝映像があっても…
撮った映像の管理はどうされていますか?
和明「最初はテープだったんですが、その頃はVHSよりも安いS-VHSっていうのがあり、それで撮影していました。2002年ごろからDVDが出てきてからは、それで録画しようと。2009年まではDVDで管理しています」
ビデオで撮ったものをDVDに落とし込むことは? そうでないと劣化しませんか?
ゆかり「ダビングしかけても、すぐに地方の大会に出かけてしまうので、どこまで進んだか、このテープは終わったのかとかわからなくなってしまうんです。とても時間のかかる作業ですね」
アメリカも大会でプロの業者が撮影したものを購入希望の親に売るんですが、日本よりも質が悪いから横線しか映らなかったりするんですよね。
和明「そうなんですね。まあ、いまのところ20年前のビデオテープでもそういったことはないですが、いずれはやらないといけないと思っています」
ゆかり「どこまでやった、これやったが全然進まなくて。時間もかかりますしね」
20年以上、たくさんの選手たちを小さいころから見ていると7才、8才ぐらいで、この子は伸びるとかわかるもんですか?
和明「うーん(しばらく悩んで)。でもね、羽生(結弦)くんのことを思い出しても、最初の頃はほかの子と同じように見ていましたし、正直わからないんですよ」
確かに身長が伸びるとジャンプにも変化がありますからね。
和明「そうです。子供の頃、“うまいな”って思っていても中学ぐらいでジャンプが飛べなくなって、成績出ないでやめた子もいますし、逆に突然、うまくなる子もいる。よく、“伸びる子は、見ていてわかるでしょ?”と聞かれますが、わからないですね」
成長する上での身長体重の変化については、先生方もわからないとおっしゃいますね。
和明「そこなんですよね」
ノービス大会は1回目から行かれているとおっしゃいましたが、その時に覚えていることはありますか?
和明「あの時は鈴木明子さんと椎名千里さんが出ていて、ふたりともすごいなって思って見ていました。最初は千里ちゃんがすごいなって思っていたんですが、そのあと、アッコちゃんがどんどん出てきましたね」
椎名千里さんは1998年、1999年全日本ジュニアを連覇し、1999年の全日本では優勝しましたからね。
和明「でもケガがあって、そのあとはジュニアの頃のような結果が出ずに残念でした」
歴史に名を残すような名選手たちの子供時代からのお宝映像をたくさんお持ちですから、この映像を貸して欲しいという声もあるのでは?
和明「選手本人に許可を得て、チョコレートのCMで使いたいからと監督が見に来られたことがありました。でも、“何か違うな”って帰られたことがあります。ただ、いくら有名な選手の子供の頃の映像があっても我々は本人とその家族にしか映像を売りませんからね」
ゆかり「(お宝映像が)あっても出せないんです」
後編に続く
福生映像
撮影・文 廉屋友美乃 / 構成 MMジャーナル編集部

